30万の攻略本を買っても魔王は倒せない。自由を掴むためのメンタル筋トレ論
高額な攻略本を積み上げるのを、もうやめにせえへんか
ふと、世の中を見渡すと、マインドセットだとか自己啓発だとか、そんな賢そうな知識が溢れかえっとることに気づく。 本屋に行けば、1,500円くらいで綺麗な正解がパッケージされて売られとるし、ネットを叩けば、30万、100万という高額な講座やセミナーが、さもこれさえあれば人生が変わる聖杯のような顔をして並んどる。
かつての私も、正解をかき集めることに必死やった時期がある。そんな「正解」を山ほど知っているはずの人たちが、本当に自由に、楽しく生きられているかっていうと、案外そうでもない。知識だけはプロ級やのに、肝心の人生が1ミリも動いてへん。そんな光景を、自分自身も含めて嫌というほど見てきた。
むしろ、投資した金額が大きければ大きいほど、知識だけは肥大して、行動が退化していく。あんな高額なチケットを何枚コレクションしたところで、人生は1ミリも動かへん。お腹はいっぱい、財布は空っぽ。なのに、実際には一歩も動く力が湧いてこない、あの奇妙な停滞感。
みんな、動かれへん自分を意志が弱いとか覚悟が足りないとか責めてるけど、それは違う。
動かれへんのは、性格のせいでも能力のせいでもない。ただ単に、「マインド」と「メンタル」の区別がついてへんだけなんや。その混同を解かんことには、どれだけ新しい知識を詰め込んでも、一生その場から動かれへんという身も蓋もない真実があるんや。
極論を言えば、マインドっていうのは「攻略本」で、メンタルは「指の筋肉」やねん。
攻略本を開いた瞬間に経験値が入ってレベルが上がるゲームがあったら、それはもうバグやろ。 でも、私らは人生という壮大なRPGにおいて、なぜか「攻略本を買った時点で、もう勝った気になる」っていう、危ない安心感に包まれてまう。決済完了のメールが届いた瞬間、まだ何も戦ってへんのに、脳内だけ先にエンディングへ走っていく、あの変な全能感や。
残念ながら、どんなに高い攻略本を買っても、指の筋肉が勝手にムキムキになることはないんや。
マインドセットというのは、いわば攻略本やな。どこに落とし穴があって、どの順番で進めたら詰まらんか、何を選んだら詰みにくいか、そういう「見取り図」をくれるOS。学ぶのは純粋に楽しいし、アップデートも一瞬で済む。でも、人生を実際に動かすのは、攻略本そのものやない。その攻略本を横に置いて、実際にコントローラーを握ってボタンを押す筋肉。それが、私が言うところのメンタルや。
例えば、魔王の行動パターンを完璧に覚えてる人がおるとする。どのターンで大技が来て、どの状態異常が致命傷になるか、全部知っとる。でも、いざ戦闘になった瞬間に、指が固まってコマンド選べへんかったらどうなるか。詰むねん。今のマインド難民たちがやってるのは、まさにこれやねん。もっといい攻略本があるはずやと言って、高い攻略本を探し回る。でも、問題は攻略本にあるんやなくて、指の筋肉が実戦をやれる準備をできてへんことにある。
地図(マインド)は買える。でも、筋肉(メンタル)は鍛えるしかない。ここが、人生の残酷な、そして一番おもしろい分岐点や。
3大いいわけという名の、存在しない幽霊
ここで、私が3大いいわけと呼んでいるものについて、本音で語りたい。 何か新しいことを始めようとしたとき、あるいは今の自分を超えようとしたとき、必ず頭の中に3人の邪魔者が現れる。
お金がない。時間がない。自信がない。
かつての自分も、何度この言葉を自分に投げかけたか分からへん。
でもな、これ、ぶっちゃけて言うてええかな。もちろん、現実問題としてほんまにお金も時間もカツカツな時期はあるし、心が折れてる日もある。それでも、お金も時間も自信も、完璧に揃ってる人なんて、この世に一人もおらんねん。みんな、お金ができたら、時間ができたら、自信がついたらって言う。でもな、その、いつかは一生来えへん。なぜなら、それらは条件ではなく、動かないための言い訳として脳が捏造した幽霊やからや。
極論を言えば、お金がないからこそ知恵が出るし、時間がないからこそ集中して仕組みを作るし、自信がないからこそ謙虚に学んで積み上げる。3大いいわけを動かない理由にしているうちは、一生その場所から一歩も出られへん。ないって言い始めたら、一生ないねん。ビル・ゲイツだって、もっと時間がないと思ってるかもしれんし、大富豪だって、次の投資に回すお金が足りないと計算してるかもしれんし、自信満々に見える成功者だって、夜中に一人で震えてることもある。
つまりな、3大いいわけは、解決すべき問題やなくて、単なる脳のノイズや。 あ、また脳が言い訳のサプリを飲ませようとしてるわ。 そう思えて初めて、そのノイズをBGMにしながら、重い足を一歩踏み出せる。その瞬間に、メンタル筋肉は初めて1ミリ成長するんや。
脳という名の、過保護なブレーキ
自分で自分を鍛えるのが難しいのは、私たちの脳に、現状維持バイアスという強力なブレーキが組み込まれているから。脳にとっての最優先事項は生存であって、成功やない。新しいことに挑戦して、失敗して、傷つくリスクを負うくらいなら、今のまま、たとえ不満があっても安全な場所にいた方がマシやと、脳は本気で思っとる。
一人でレベリングしてても、脳が、これ以上は危険やって警告を出してきた瞬間、私らは、今日はここまででええかと、セーブしてログアウトしてしまう。
だからこそ、一人でメンタルを鍛えるのは、構造的に無理ゲーに近いんや。もちろん、独力で積める人もおるし、それを否定したいわけやない。ただ、自分の脳を、自分一人で騙し通すのは基本むずい。そこで、また新しい、高い攻略本に手を出す。この攻略本なら、もっと楽にクリアできるんちゃうか。そうやって、また安全な部屋でチュートリアルを周回し始める。もう、そのループ、終わりにしたい。
30万の攻略本を音読するだけで、勇者になれると思っている私らの生存戦略
ここで、私らが陥っている状況を、もっと身近な例えで解剖してみようか。 今のマインド難民の状態っていうのはな、例えるなら、最新の攻略本を音読するだけで、自分がレベル99の勇者になれると本気で信じているプレイヤーみたいなもんやねん。
攻略本には、魔王の倒し方も、隠しダンジョンの場所も、最強の武器の入手方法も全部書いてある。それを何十万も払って買ってきて、部屋でコーヒー飲みながら隅々まで読み込む。 へぇー、ここはAボタンとBボタンを同時に押すんやな。よし、覚えたぞ。 そう言ってる間は、全能感に包まれて気分がいい。脳内ではすでにラスボスをボコボコにして、姫を救い出しとる。
でもな、現実の人生という名のコントローラーを握った瞬間、指が動かへん。 「あれ? おかしいな、30万も払って最高の攻略法を学んだのに」そう言って、また別の、もっと詳しく書いてある攻略本を買いに行く。
これ、冷静に眺めたら、だいぶ滑稽なループやと思うねん。知ってるのに、動けへん。動けへんから、また知識を買う。 攻略本(マインド)を音読するだけで魔王を倒せる勇者がおったら、それはもうゲームバランスの崩壊やろ。でも、私らはなぜか、高額な攻略本を買えば、自分のステータスが勝手に上がるっていう、バグレベルの勘違いを信じ込んでしまっとる。
大事なのは攻略本の中身やなくて、指の筋肉(メンタル)なんや。 100万の攻略本を読んでも、実際にコントローラーを握って、何度もボタンを押し間違えて、全滅して、それでもまた立ち上がるっていう、実戦を積み上げんと、指の筋肉は育たへん。
攻略本(マインド)は、金を出せば誰でも買える。 なんなら金をかけなくても youtubeとかで全然学べる。でも、筋肉(メンタル)は、自分の身体を痛めて、負荷をかけて、地道に壊して再生させるっていう、極めてタイパの悪い作業でしか手に入らへん。スクワットのやり方を本で読んで、なるほど、太ももに効くんやなと納得しても、足は1ミリも太くならへんのと一緒。実際に膝を曲げて、プルプル震える足で踏ん張るから、筋肉はつく。
3大いいわけを盾にして攻略本を読み続けている状態。 もう、その本、一回閉じよう。レベル1の勇者が今やるべきは、魔王の攻略法を覚えることやなくて、まずはそこらへんのスライム相手に、震える指でAボタンを押すことなんや。
グリット、レジリエンス、セルフエフィカシー:筋肉の3大要素
ここで少し、賢そうな横文字の話をしようか。
この、ノイズを無視して動く力を支えるのが、グリット(やり抜く力)、レジリエンス(折れない心)、セルフエフィカシー(自己効力感)。最近の自己啓発界隈ではキラキラした魔法の杖みたいに扱われてるけど、これらも全部、突き詰めれば「メンタルの筋肉」の別名に過ぎん。
まず、グリットは、才能やなくて、筋持久力。世の中、一瞬だけ爆発的な力を出す人は多い。でも、地味な作業を、面白くない時期も、淡々と続けられる人は少ない。なぜ続けられへんかというと、単純に持久筋が足りてへんからや。最初からフルマラソンを走ろうとして、3キロで心臓が口から出そうになって止まっとるだけ。今日決めた小さな一歩を死守する。その、地味な継続こそが、グリットを太くする。
次に、レジリエンス。これは精神的な復元力。人生、生きてりゃ嫌なこともあるし、盛大にスベることもある。その時に、ポッキリ折れるんじゃなくて、ま、そんなこともあるわなと戻ってこれる、しなり。これは、過去にどれだけ小さな失敗という負荷をかけて、そのたびに、「平気で生きる」練習をしてきたかで決まる。負荷を避けて、安全な地図の部屋に引きこもっている奴ほど、一回の衝撃でバキッと折れてしまう。
そして、セルフエフィカシーは、自分への信頼。これが一番勘違いされやすい。 「自分ならできる」という根拠のない自信、なんて訳されることもあるけど、そんなもん空想の産物や。高額な講座を買って「今度こそ!」と思っているときは、まだ何もやってへんから自己効力感はゼロや。むしろ、買って満足して動かない自分を繰り返すほど、この信頼はマイナスに削れていく。「あぁ、また攻略本を買うだけで終わったわ」っていう敗北感。これが一番、魂を枯らすんや。本当の自己効力感は、自分は、自分との約束を守れるという実績の積み上げからしか生まれへん。
これら3つの筋肉を鍛えるのに、100万円の講座は要らんねん。今日、自分が決めた「小さな一歩」を、脳のブレーキを振り切って15分だけ作業する。その1ミリの積み上げだけが、グリットを太くし、レジリエンスを柔軟にし、セルフエフィカシーを確固たるものにする。
生涯成果を出すための、負荷の設計図
一時的なやる気で動くのは、誰にでもできる。でも、私が提供したいのは、一過性のやる気じゃなくて、生涯にわたって成果を出し続ける構造そのものや。生涯成果を出すためには、マインド(攻略本)とメンタル(筋肉)を相互に変換する翻訳プロセスが不可欠になる。多くの人は、学んだ知識をそのまま実行しようとするけど、それができへんのは自分のメンタル出力に見合った「負荷の設計」ができてへんからや。
いきなり100キロのバーベルを持ち上げようとするから、心が折れる。1キロから始めて、毎日100グラムずつ重さを増やしていく。その地味な、誰も見ていないところでの積み上げ。あ、私、今まさに脳の安全装置がフル稼働して、指一本動かさんように守られてるわ。そうやって、自分の不甲斐なさを面白がりながら、それでもあともう一歩だけ負荷をかける。この、自分に対する負荷の調整能力こそが、一生モノのスキル、生涯成果に繋がるんや。
例の3大いいわけは消えへん。消そうとすればするほど、脳は現状維持を守るために「危ないで」「まだ早いで」って警告ポップアップを連打してくる。せやから必要なんは、警告を止めることやなくて、警告が出てても押せるボタンの大きさまで負荷を落とすことや。今日の出力に見合う難易度に調整して、確実に一回クリアして、次の日ほんの少しだけ難易度を上げる。その積み上げができるようになったとき、持っているその攻略本は、ようやく現実を動かすための武器に変わる。やるか、今やるか。
その二択を面白がれるようになったとき、持っているその地図は、ようやく現実を動かすための武器に変わる。
知性の罠と、身体性の復権
ここで、もう一つ踏み込んだ話をしたい。なぜ私らがこれほどまでに「攻略本」という名の知識に執着してしまうのか。その背景には、現代社会が抱える知性の罠がある。
今の世の中、頭が良いとされるのは「正解を早く見つける人」や。でも、人生の荒野において、あらかじめ用意された正解なんてものは存在せえへん。それなのに、私らは学校教育の癖で、ついどこかに正しい答えがあるはずだと外側に答えを求めてしまう。これが、高額講座への依存を生む構造的な原因や。
正解探しをして知識を詰め込んでいる間、私らは身体を置き去りにしとる。 モニター越しに誰かの成功法則を聞いているとき、自分自身の心拍数や、足の裏が地面を捉える感覚、呼吸の深さ。そういう生身の感覚が死んでしまっとるんや。メンタルの筋肉を鍛えるというのは、言い換えれば、知性の暴走を止めて身体性を取り戻すことでもある。
どれだけ高尚なマインドを学んでも、それが「腑に落ちる」感覚がなければ意味がない。 腑というのは内臓のことやな。つまり、頭で理解するんじゃなく、体で納得すること。 「あ、これや!」と体が動く感覚。その直感を信じられるだけの足腰を育てること。ここで頭だけで片をつけようとすると、脳は現状維持を守るために「まだ条件が足りん」「今は危ない」ってシステムメッセージを出し続ける。論理でその表示を消そうとしても、脳はまた次の理由を自動生成してくる。でも、一歩踏み出して、冷たい風を頬に感じ、筋肉の軋みを感じた瞬間、そのメッセージは一瞬で静まる。行動という名の身体の現実は、100万の言葉よりも雄弁に、自分という存在を証明してくれるからや。
取り戻すべきなのは、洗練された知識やなくて、泥臭い実感なんや。 その実感を積み重ねた先にしか、本物のセルフエフィカシーは宿らへん。
感謝と貢献を燃料にする:なぜ、傲慢さがブレーキになるのか
メンタルを鍛え続けるには、莫大なエネルギーが要る。自分のエゴや、自分一人の成功だけを燃料にしていると、どこかでガス欠を起こす。「もっと稼ぎたい」「もっと認められたい」という欲求は、確かに最初の着火剤にはなるけど、それは燃え尽きやすい枯れ木のようなもんや。さらには、自分だけが良ければいいという傲慢さが出てくると、他人の目や評価に過敏になり、レジリエンスが脆くなる。
鍛え続け、負荷を楽しみ続けるための最強の燃料は、「感謝と貢献」やと確信しとる。自分を削って誰かに尽くすんやなくて、自分を最大限に鍛え上げ、その溢れ出た力で周りに貢献していく。感謝をベースに持っている人は、強い。なぜなら、生かされているという感覚が、自分を支える根源的なエネルギーになるからや。「やりたいことを全部やる」っていうのは、決して自分勝手なことじゃない。自分が自由に楽しく生きることで、そのエネルギーが周りに波及していく。それが一番の貢献やねん。
他人のネガティブや嫉妬に振り回されないマインドっていうのも、実はこの、貢献の意識から生まれる。自分の人生を、誰かのために面白がって生きている人は、他人の評価という名のノイズに構っている暇がない。それが、最強のプロテクトになるんや。
自由は、難しいからこそ価値がある
やりたいことは全部やる。そのために、できない言い訳を一つずつ、笑いながら潰して自分に許可を出す。それって、正直、やってる最中はめちゃくちゃ泥臭い。派手さもないし、気分が上がる日ばっかりでもない。でもな、そのプロセス自体を、おもしろがれるようになったら、もう勝ったも同然や。
自由に楽しく生きることは難しい。だからこそ、価値がある。簡単に手に入る自由なんて、ちょっとした風ですぐに吹き飛んでしまう。本当の自由っていうのは、自分で自分を律して、必要な負荷を引き受けて、その先に自分の足で立っているという自負から生まれる。
もし、今、動かれへん自分を責めて、また新しい高額な攻略本を探そうとしているなら、一旦立ち止まって。もう、攻略本は十分持ってるはずや。その攻略本をそっと閉じて、まずは自分の足の筋肉が今どんな感じか、確かめてみるんはどうかな。
面白がって、平気で生きる。そのための筋肉は、いつからだって鍛え直せる。高額な攻略本を積み上げるのはもうやめて、そろそろ、自分の足で荒野を歩き始めてみーひんか。
その先に広がる景色は、どんな高いセミナーでも見せてくれへん、自分だけの最高の眺めやから。
自分に許可を出す。人生は、面白がるためにあるんやで。
ふと、世の中を見渡すと、マインドセットだとか自己啓発だとか、そんな賢そうな知識が溢れかえっとることに気づく。 本屋に行けば、1,500円くらいで綺麗な正解がパッケージされて売られとるし、ネットを叩けば、30万、100万という高額な講座やセミナーが、さもこれさえあれば人生が変わる聖杯のような顔をして並んどる。
かつての私も、そんな知的なサプリを買い漁ることに必死やった時期があるから分かるんやけど、あんな高額なチケットを何枚コレクションしたところで、人生は1ミリも動かへん。 むしろ、投資した金額が大きければ大きいほど、知識だけは肥大して、行動が退化していく。 これを私は、勝手に「高額サプリ中毒」と呼んどる。お腹はいっぱい、財布は空っぽ。なのに、実際には一歩も動く力が湧いてこない、あの奇妙な停滞感や。
みんな、動かれへん自分を意志が弱いとか覚悟が足りないとか責めてるけど、それは少し違う気がしとる。 動かれへんのは、性格のせいでも能力のせいでもない。ただ単に、マインドとメンタルの区別がついてへんだけ。その混同を解かんことには、どれだけ新しい知識を詰め込んでも、一生その場から動かれへんという身も蓋もない真実があるんや。 極論を言えば、マインドっていうのは「攻略本」で、メンタルは「指の筋肉」やねん。
攻略本を音読するだけで魔王を倒せる勇者がおったら、それはもうゲームバランスの崩壊やろ。 でも、私らは人生という壮大なRPGにおいて、なぜか「30万の攻略本を買えば、自分のステータスが勝手に上がる」っていう、バグレベルの勘違いを信じ込んでしまっとる。 残念ながら、どんなに高い地図を買っても、あんたの、いや、私らの足の筋肉が勝手にムキムキになることはないんや。
マインドセットというのは、いわば地図やな。目的地がどこにあって、どの道を通れば最短で着くか。それを知るためのOS。学ぶのは純粋に楽しいし、アップデートも一瞬で済む。でも、人生を実際に動かすのは、地図そのものやない。その地図を握りしめて、実際に自分の足で地面を蹴る筋肉。それが、私が言うところのメンタルや。
エベレストの登頂ルートを完璧に記憶している人がおるとする。どこで酸素が薄くなって、どこにクレバスがあるか。全部知っとる。でも、その人の足腰がガリガリで、10キロの荷物を背負って歩く体力もなかったらどうなるか。一歩踏み出した瞬間に膝が笑って、ベースキャンプにすら辿り着かれへんやろ。
今のマインド難民たちがやってるのは、まさにこれやねん。もっといい地図があるはずやと言って、高い地図を探し回る。でも、問題は地図にあるんやなくて、自分の足腰が荒野を歩く準備をできてへんことにある。地図(マインド)は買える。でも、筋肉(メンタル)は鍛えるしかない。ここが、人生の残酷な、そして一番おもしろい分岐点や。
3大いいわけという名の、存在しない幽霊
ここで、私が3大いいわけと呼んでいるものについて、本音で語りたい。 何か新しいことを始めようとしたとき、あるいは今の自分を超えようとしたとき、必ず頭の中に3人の邪魔者が現れる。
お金がない。時間がない。自信がない。
かつての自分も、何度この言葉を自分に投げかけたか分からへん。でもな、これ、ぶっちゃけて言うてええかな。
お金も時間も自信も、完璧に揃ってる人なんて、この世に一人もおらんねん。
みんな、お金ができたら、時間ができたら、自信がついたらって言う。でもな、その、いつかは一生来えへん。なぜなら、それらは条件ではなく、動かないための言い訳として脳が捏造した幽霊やからや。
極論を言えば、お金がないからこそ知恵が出るし、時間がないからこそ集中して仕組みを作るし、自信がないからこそ謙虚に学んで積み上げる。3大いいわけを動かない理由にしているうちは、一生その場所から一歩も出られへん。
ないって言い始めたら、一生ないねん。
ビル・ゲイツだって、もっと時間がないと思ってるかもしれんし、大富豪だって、次の投資に回すお金が足りないと計算してるかもしれん。自信満々に見える成功者だって、夜中に一人で震えてることもある。
つまりな、3大いいわけは、解決すべき問題やなくて、単なる脳のノイズや。 あ、また脳が言い訳のサプリを飲ませようとしてるわ。 そう思えて初めて、そのノイズをBGMにしながら、重い足を一歩踏み出せる。その瞬間に、メンタル筋肉は初めて1ミリ成長するんや。
脳という名の、過保護なブレーキ
自分で自分を鍛えるのが難しいのは、私たちの脳に、現状維持バイアスという強力なブレーキが組み込まれているから。脳にとっての最優先事項は生存であって、成功やない。新しいことに挑戦して、失敗して、傷つくリスクを負うくらいなら、今のまま、たとえ不満があっても安全な場所にいた方がマシやと、脳は本気で思っとる。
一人でスクワットをしていても、脳が、これ以上は危険や!って信号を送ってきた瞬間、私らは、今日はこれくらいでええかと、自分を甘やかしてしまう。だから、一人でメンタルを鍛えるのは、構造的に無理ゲーに近いんや。自分の脳を、自分一人で騙し通すことはできへんからな。
そこで、また新しい、高い地図に手を出す。この地図なら、もっと楽に目的地に着けるんちゃうか?そうやって、また安全な部屋で登山シミュレーターを回し始める。もう、そのループ、終わりにしたい。
30万の攻略本を音読するだけで、勇者になれると思っている私らの生存戦略
ここで、私らが陥っている状況を、もっと身近な例えで解剖してみようか。 今のマインド難民の状態っていうのはな、例えるなら、最新の攻略本を音読するだけで、自分がレベル99の勇者になれると本気で信じているプレイヤーみたいなもんやねん。
攻略本には、魔王の倒し方も、隠しダンジョンの場所も、最強の武器の入手方法も全部書いてある。それを何十万も払って買ってきて、部屋でコーヒー飲みながら隅々まで読み込む。 へぇー、ここはAボタンとBボタンを同時に押すんやな。よし、覚えたぞ。 そう言ってる間は、全能感に包まれて気分がいい。脳内ではすでにラスボスをボコボコにして、姫を救い出しとる。
でもな、現実の人生という名のコントローラーを握った瞬間、指が動かへん。 「あれ? おかしいな、30万も払って最高の攻略法を学んだのに」そう言って、また別の、もっと詳しく書いてある攻略本を買いに行く。
これな、客観的に見たら、めちゃくちゃおもろい状況やと思わへんかな。 攻略本(マインド)を音読するだけで魔王を倒せる勇者がおったら、それはもうゲームバランスの崩壊やろ。でも、私らはなぜか、高額な攻略本を買えば、自分のステータスが勝手に上がるっていう、バグレベルの勘違いを信じ込んでしまっとる。
大事なのは攻略本の中身やなくて、指の筋肉(メンタル)なんや。 100万の攻略本を読んでも、実際にコントローラーを握って、何度もボタンを押し間違えて、全滅して、それでもまた立ち上がるっていう、実戦を積み上げんと、指の筋肉は育たへん。
地図(マインド)は、金を出せば誰でも買える。 でも、筋肉(メンタル)は、自分の身体を痛めて、負荷をかけて、地道に壊して再生させるっていう、極めてタイパの悪い作業でしか手に入らへん。スクワットのやり方を本で読んで、なるほど、太ももに効くんやなと納得しても、足は1ミリも太くならへんのと一緒。実際に膝を曲げて、プルプル震える足で踏ん張るから、筋肉はつく。
3大いいわけを盾にして攻略本を読み続けている状態。 もう、その本、一回閉じよう。レベル1の勇者が今やるべきは、魔王の攻略法を覚えることやなくて、まずはそこらへんのスライム相手に、震える指でAボタンを押すことなんや。
グリット、レジリエンス、セルフエフィカシー:筋肉の3大要素
ここで少し、賢そうな横文字の話をしようか。
この、ノイズを無視して動く力を支えるのが、グリット(やり抜く力)、レジリエンス(折れない心)、セルフエフィカシー(自己効力感)。最近の自己啓発界隈ではキラキラした魔法の杖みたいに扱われてるけど、これらも全部、突き詰めれば「メンタルの筋肉」の別名に過ぎん。
まず、グリットは、才能やなくて、筋持久力。世の中、一瞬だけ爆発的な力を出す人は多い。でも、地味な作業を、面白くない時期も、淡々と続けられる人は少ない。なぜ続けられへんかというと、単純に持久筋が足りてへんからや。最初からフルマラソンを走ろうとして、3キロで心臓が口から出そうになって止まっとるだけ。今日決めた小さな一歩を死守する。その、地味な継続こそが、グリットを太くする。
次に、レジリエンス。これは精神的な復元力。人生、生きてりゃ嫌なこともあるし、盛大にスベることもある。その時に、ポッキリ折れるんじゃなくて、ま、そんなこともあるわなと戻ってこれる、しなり。これは、過去にどれだけ小さな失敗という負荷をかけて、そのたびに、「平気で生きる」練習をしてきたかで決まる。負荷を避けて、安全な地図の部屋に引きこもっている奴ほど、一回の衝撃でバキッと折れてしまう。
そして、セルフエフィカシーは、自分への信頼。これが一番勘違いされやすい。 「自分ならできる」という根拠のない自信、なんて訳されることもあるけど、そんなもん空想の産物や。高額な講座を買って「今度こそ!」と思っているときは、まだ何もやってへんから自己効力感はゼロや。むしろ、買って満足して動かない自分を繰り返すほど、この信頼はマイナスに削れていく。「あぁ、また地図を買うだけで終わったわ」っていう敗北感。これが一番、魂を枯らすんや。本当の自己効力感は、自分は、自分との約束を守れるという実績の積み上げからしか生まれへん。
これら3つの筋肉を鍛えるのに、100万円の講座は要らんねん。今日、自分が決めた「小さな一歩」を、脳のブレーキを振り切って15分だけ作業する。その1ミリの積み上げだけが、グリットを太くし、レジリエンスを柔軟にし、セルフエフィカシーを確固たるものにする。
生涯成果を出すための、負荷の設計図
一時的なやる気で動くのは、誰にでもできる。でも、私が提供したいのは、一過性のやる気じゃなくて、生涯にわたって成果を出し続ける構造そのものや。
生涯成果を出すためには、マインド(地図)とメンタル(筋肉)を相互に変換する翻訳プロセスが不可欠になる。多くの人は、学んだ知識をそのまま実行しようとするけど、それができへんのは自分のメンタル出力に見合った「負荷の設計」ができてへんからや。
いきなり100キロのバーベルを持ち上げようとするから、心が折れる。1キロから始めて、毎日100グラムずつ重さを増やしていく。その地味な、誰も見ていないところでの積み上げ。あ、私、今まさに脳の安全装置がフル稼働して、指一本動かさんように守られてるわ。そうやって、自分の不甲斐なさを面白がりながら、それでもあともう一歩だけ負荷をかける。この、自分に対する負荷の調整能力こそが、一生モノのスキル、生涯成果に繋がるんや。
できない言い訳はいくらでもあるわな。お金がない、時間がない、自信がない。でも、それらは全部、脳が現状維持を守るために吐き出したノイズに過ぎん。
やるか、今やるか。
その二択を面白がれるようになったとき、持っているその地図は、ようやく現実を動かすための武器に変わる。
知性の罠と、身体性の復権
ここで、もう一つ踏み込んだ話をしたい。なぜ私らがこれほどまでに「攻略本」という名の知識に執着してしまうのか。その背景には、現代社会が抱える知性の罠がある。
今の世の中、頭が良いとされるのは「正解を早く見つける人」や。でも、人生の荒野において、あらかじめ用意された正解なんてものは存在せえへん。それなのに、私らは学校教育の癖で、ついどこかに正しい答えがあるはずだと外側に答えを求めてしまう。これが、高額講座への依存を生む構造的な原因や。
正解探しをして知識を詰め込んでいる間、私らは身体を置き去りにしとる。 モニター越しに誰かの成功法則を聞いているとき、自分自身の心拍数や、足の裏が地面を捉える感覚、呼吸の深さ。そういう生身の感覚が死んでしまっとるんや。メンタルの筋肉を鍛えるというのは、言い換えれば、知性の暴走を止めて身体性を取り戻すことでもある。
どれだけ高尚なマインドを学んでも、それが「腑に落ちる」感覚がなければ意味がない。 腑というのは内臓のことやな。つまり、頭で理解するんじゃなく、体で納得すること。 「あ、これや!」と体が動く感覚。その直感を信じられるだけの足腰を育てること。
3大いいわけが消えないのは、頭だけで解決しようとしているからや。 お金、時間、自信。これらを論理で論破しようとしても、脳はまた新しい反論を見つけてくる。 でも、一歩踏み出して、冷たい風を頬に感じ、筋肉の軋みを感じた瞬間、脳のノイズは一瞬で静まる。行動という名の身体の現実は、100万の言葉よりも雄弁に、自分という存在を証明してくれるからや。
私らが取り戻すべきなのは、洗練された知識やなくて、泥臭い実感なんや。 その実感を積み重ねた先にしか、本物のセルフエフィカシーは宿らへん。
感謝と貢献を燃料にする:なぜ、傲慢さがブレーキになるのか
メンタルを鍛え続けるには、莫大なエネルギーが要る。自分のエゴや、自分一人の成功だけを燃料にしていると、どこかでガス欠を起こす。「もっと稼ぎたい」「もっと認められたい」という欲求は、確かに最初の着火剤にはなるけど、それは燃え尽きやすい枯れ木のようなもんや。さらには、自分だけが良ければいいという傲慢さが出てくると、他人の目や評価に過敏になり、レジリエンスが脆くなる。
メンタルを鍛え続け、負荷を楽しみ続けるための最強の燃料は、「感謝と貢献」やと確信しとる。自分を削って誰かに尽くすんやなくて、自分を最大限に鍛え上げ、その溢れ出た力で周りに貢献していく。感謝をベースに持っている人は、強い。なぜなら、生かされているという感覚が、自分を支える根源的なエネルギーになるからや。「やりたいことを全部やる」っていうのは、決して自分勝手なことじゃない。あんたが自由に楽しく生きることで、そのエネルギーが周りに波及していく。それが一番の貢献やねん。
他人のネガティブや嫉妬に振り回されないマインドっていうのも、実はこの、貢献の意識から生まれる。自分の人生を、誰かのために面白がって生きている人は、他人の評価という名のノイズに構っている暇がない。それが、最強のプロテクトになるんや。
自由は、難しいからこそ価値がある
やりたいことは全部やる。そのために、できない言い訳を一つずつ、笑いながら潰して自分に許可を出す。それって、端から見たらめちゃくちゃハードなことかもしれん。でもな、そのプロセス自体を、おもしろがれるようになったら、もう勝ったも同然や。
自由に楽しく生きることは難しい。だからこそ、価値がある。簡単に手に入る自由なんて、ちょっとした風ですぐに吹き飛んでしまう。本当の自由っていうのは、自分で自分を律して、必要な負荷を引き受けて、その先に自分の足で立っているという自負から生まれる。
もし、今、動かれへん自分を責めて、また新しい高額な地図を探そうとしているなら、一旦立ち止まって。もう、地図は十分持ってるはずや。その地図をそっと閉じて、まずは自分の足の筋肉が今どんな感じか、確かめてみるんはどうかな。
面白がって、平気で生きる。そのための筋肉は、いつからだって鍛え直せる。高額な攻略本を積み上げるのはもうやめて、そろそろ、自分の足で荒野を歩き始めてみーひんか。
その先に広がる景色は、どんな高いセミナーでも見せてくれへん、自分だけの最高の眺めやから。
自分に許可を出す。人生は、面白がるためにあるんやで。

